旅する南部塾(全5回)~第一幕~ 第三回 2024年7月28日(日)

各地の専門解説員から学ぶ
旅する南部塾(全5回) ~第一幕~
~南部氏の城館や、ゆかりの地を
      現地専門解説員とたどる旅~

向鶴銅製品(聖寿寺館跡出土 南部町教育委員会蔵) (イメージ)
画像提供 南部町教育委員会

第3回 南部と津軽の攻防
~津軽に見る南部氏関連城館跡~

ご案内役 弘前市教育委員会
《出発日》 
2024年7月28日(日) 【日帰り】
《旅行代金》
一戸駅集合解散 おひとり様14,500円
IGR往復乗車券付の場合 おひとり様16,000円
※盛岡駅~奥中山高原駅間からIGRをご利用の場合お得です。
◆最少催行人員 15名  ◆添乗員同行  ◆食事 朝× 昼〇(弁当) 夜×
《定員》
40名様
《行程》
凡例 +++鉄道(IGRいわて銀河鉄道) ===貸切バス(岩手県北バス) ……徒歩

( IGR盛岡駅7:32発+++(IGR移動)+++8:36 IGR一戸駅着)
  8:40 一戸駅集合   8:50一戸駅発===(貸切バス移動)===
10:00 石川城 
石川城の築城は南北朝期までさかのぼり、建武元年(1334年)には

    建武政府への反乱勢が「石川楯」に立てこもったとの記録がある。
その後津軽を
支配した安藤氏の勢力を南部氏が一掃し、
天文2年(1533年)には南部高信が
石川城に入城、
津軽郡代として津軽を支配したとされる。
しかし元亀2(1571)
年5月、南部(大浦)為信(のちの津軽為信)が堀越城より急襲、
高信は自害し
石川城は落城した。
その後、石川城に入った津軽家重臣板垣兵部は、
慶長5(
1600)の関ヶ原の戦いの時に反乱を起こしたものの、
制圧され、石川城も
廃城となったとされる。
10:50===(貸切バス移動)

    堀越城 

建武3年(1336年)北朝方の曽我貞光により「堀越楯」が築城され
たとの記録が、
堀越城の初出となる。
その後も中世を通じて城館として機能していたと想定されているが、
再び史料上に現れ
るのは南部(大浦)為信(のちの津軽為信)の「津軽切り取り」に際してである。
元亀2年(1571年)為信は堀越城から
出立、石川城の南部高信を急襲した。
その後為信は、津軽より南部氏の勢力を一掃、
文禄3年(1594年)には堀越城を大改
修して、大浦城から本拠を移転した。
堀越城はその後、二代信枚が高岡城(のちの弘前城)を築城するまで、
津軽氏の居城と
して機能した。 
11:50===(貸切バス移動)
12:00 弘前市内(昼食) 13:00===(貸切バス移動)
13:40 高岡の森弘前藩歴史館・高照神社 
14:40===(貸切バス移動)
15:20 浪岡城


16:20===(貸切バス移動)

18:20一戸駅解散 (一戸駅18:30+++(IGR)+++19:33盛岡駅着)



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