旅する南部塾(全5回)~第一幕~ 第二回 2024年6月23日(日)

各地の専門解説員から学ぶ
旅する南部塾(全5回) ~第一幕~
~南部氏の城館や、ゆかりの地を
      現地専門解説員とたどる旅~

向鶴銅製品(聖寿寺館跡出土 南部町教育委員会蔵) (イメージ)
画像提供 南部町教育委員会

第2回 南部氏、聖寿寺館から新三戸城へ
ご案内役 野田 尚志 氏 (三戸町教育委員会)
《出発日》 
2024年6月23日(日) 【日帰り】
《旅行代金》
二戸駅集合解散 おひとり様9,800円
IGR往復乗車券付の場合 おひとり様11,300円
※盛岡駅~奥中山高原駅間からIGRをご利用の場合お得です。
◆最少催行人員 15名  ◆添乗員同行  ◆食事 朝× 昼〇(弁当) 夜×
《定員》
40名様
《行程》
凡例 +++鉄道(IGRいわて銀河鉄道) ===貸切バス(岩手県北バス) ……徒歩
 ( IGR盛岡駅9:14発+++(IGR移動)+++10:23 IGR二戸駅着)

10:30 二戸駅集合   10:40二戸駅発===(貸切バス移動)===
11:00 三戸町城下町散策
城下町を古地図をもとに辿り、当時の街並みを探ります
……12:30 三戸町内(昼食) ……(徒歩移動)

13:40   三戸城


伝承によると、16世紀の中頃、三戸南部家の拠点であった聖寿寺館跡(現南部町)から
三戸に居城を移したと云わ
れている。
天正18年(1590)、豊臣秀吉は、第26代南部信直に対して「南部内七郡」の領有を認め、
同時に三戸城を正式な居城に
定めた。
その後、居城が福岡(現二戸市)に移転したのちも要害拠点として使用が続けられるが、
寛永10年(1633)の盛岡城完成に
より、居城としての役目を終える。
三戸代官所設置後は廃城となるものの、掃除奉行が任命され城の管理がなされていた。
城内へは下馬門から入り、綱門→鳩門→欅門→大門を経て本丸に至る。
鳩門より本丸に向かう道の両側には重臣の屋敷が配置されていたという。
本丸の東に位置する搦手門の一段下は、庭園空間となっており、更に東へ下がると城の裏口の鍛冶屋門に至る。

15:40===(貸切バス移動)===15:50道の駅さんのへ===17:10二戸駅解散 (二戸駅17:43+++(IGR)+++18:52盛岡駅着) 

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